『ブラックボックス』
作 市田ゆたか様
【Ver 3.1】
「まずは温水循環系のテストを行う。温水タンクの状況を報告しろ」
「温水？一体なにをするつもりな…現在温水タンクは空です。給水が必要です」
「よろしい。では、隣の部屋にキッチンがある。そこで給水しろ」
「はい、給水します。えっ、何。体が勝手に…」
そう言うと、F3579804-MDは隣の部屋へと歩き出した。
そしてドアを開け、部屋の中に一歩足を伸ばしたところでぴたりと動きを止めた。
「と、止まったわ。いったいどうして…外部電源が二系統切断されました。省電力モードに切り替えます」
左手と右足に接続されていたケーブルが抜けていた。
「そこに電源ケーブルがあるから、一本づつ繋ぎ替えて使え」
最初の部屋と同様のケーブルがキッチンの壁から延びていた。
「う、動けなくなるのは嫌だから接続するけど、決して命令を認めたわけじゃないからね」
そういいながら右手をケーブルに伸ばすが、思ったように動かず、ぎこちない動きしかできなかった。
「省電力モードの時には同時に複数の関節を動かすことはできないから覚えておくように」
校長が笑いながら言った。
「ピッ、外部電源が一系統復旧しました。予備系統で稼動します」
不自由な右手で左手の金属環にケーブルを接続すると、自由に動けるようになった。
右足の金属環にも台所のケーブルを接続した。
「ピッ、外部電源が復旧しました」
そして、右手、左足とつなぎ替えを繰り返して、F3579804-MDは完全に台所のケーブルに接続された状態になった。
「よし、テストを継続しろ」
「テストを継続します。給水動作を開始します」
そういうとF3579804-MDはキッチンの流し台にある蛇口をくわえ込んだ。
「うぐっ、何これ…口がはなれないわ…、えっ、私って口を動かしてないのにしゃべってる。やっぱりロボットになっちゃったんだわ」
右手が自動的にバルブをひねり、のどに水が流れ込んだ。
「給水中…1リットル…2リットル」
F3579804-MDは水を飲み込んでいく。
「3リットル…3.85リットル…給水完了しました」
蛇口をくわえていた口が離れ、バルブを閉めるとF3579804-MDは自由を取り戻した。
「いったい何が起こったの、不純物が7.25ppmもある水を3.85リットルも水を飲んだのに…」
「これより浄水機能のテストを行う。不純物が0.5ppmになるまで浄水しろ」
「ピッ、循環浄水機構をチェック中。活性炭フィルターセット確認。セラミックフィルターセット確認。浄水開始します」
F3579804-MDの体内からブーンというポンプの音と、ゴーっという水の流れる音が聞こえてきた。
「ねえ、いったいあたしに何を…6ppm…したのよ。浄水って何…5ppm…のことなのよ。お願い、ちゃんと説明…4ppm…してよ」
「その必要はない。お前はすでに知っているはずだ」
「そんな馬鹿なことって…3ppm…浄水機能はご主人様のために紅…2ppm…茶をおいしく淹れるための機能です。
私の体内には、3.85リットルの沸騰浄水…1ppm…保温機能が内蔵されています。温水の容量・温度・成分について…0.5ppm浄水終了」
ポンプの音が静かになり、F3579804-MDは数秒間口を閉じると再び話し出した。
「…は常時把握されており、常に最適な状態でお茶をお出しすることが可能です」
「わかったか」
「え、ええ。今の水量は3.83リットル。浄水によって0.02リットルのロスが発生したのね。温度は21.3度で不純物は0.5ppm。…こんなことまで、これじゃあ自動ポットと同じじゃないの」
「そのとおりだ。それではポットの一番重要な機能をテストすることにしよう。沸騰開始」
「ピッ、沸騰を開始します。現在温度22度です…いや、いやよ。まだメイドロボってことだけならともかく、そんなロボット以下の存在に…30度…なるなんて」
「まだわかっていないようだな。お前の名前は」
「F…F3579804-MDです」
「お前は人間か」
「私は人間……だった…わ。今はメイドロボだけど」
「お前のタイプは」
「私のタイプはティーサービスタイプです」
「お前の機能は」
「私の機能はご主人様にお茶を…45度…淹れることです。そのために体内に沸騰浄水保温ポット機能が内蔵されています。
ご主人様の命令がない状態の私は、ポットの制御装置として温水を最適な状態に…60度…保つために動作します」
「お前に自由はあるか」
「私は、通常では沸騰浄水保温ポットとしての動作が許されています。…それって充電台と台所の往復以外できないってことなの？冗談じゃないわ。どんなに身体を制御されたって…75度…心は自由よ…。ご主人様の命令がある場合には、その範囲内での裁量行動が許されます」
「よくわかっているじゃないか」
「違うわ。これは、私がしゃべっているんじゃないわ。私の身体を勝手に操っている機械が…90度…」
「まだ理解できていないのか。お前が自分の意識だと思っているものは、ブラックボックス内の電磁パルスのパターンに過ぎないことが。お前はこのメイドロボに必要なときだけ人間的な動作をさせるためのオプションパーツなのだよ」
「何を勝手なことを言ってるの。私は…ピッ、沸騰完了、保温開始」
シュッと音を立てて、F3579804-MDの首筋の金属環から蒸気が噴出した。
「まあよい、続きのテストはまた後だ。まずは自分の機能を自覚しろ」
「私はポットなんかじゃ…テストモードを解除します…メイドプログラム起動」
F3579804-MDは直立し、両手をエプロンの前で軽く重ねあわせる姿をとり、にっこりと微笑んだ。
「仮ご主人様と認識しました。ご主人様、ご命令をどうぞ」
校長は命令を与えずに部屋を去っていった。
「ピッ、命令がありません。メイドプログラムをスリープ状態にします…やっと自由になれたわ」
F3579804-MDは手足を動かし始めた。
「今度こそ逃げださ…ピッ、ポットに温水があります。命令がないため温水の維持を行います…そん…な………現在98度で保温中です」
F3579804-MDは動かし始めた手足を元の位置に戻すと微笑んだ姿のままキッチンに立ち続けた。
そして、5分おきに次の言葉を繰り返しつぶやき続けていた。
「現在98度で保温中です」
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